マレーシア紀行 二つの自由 vol.3

前回はペナンの初日を記述した。今回はその続きと、クアラルンプールに戻る途中で立ち寄ったIpoh、そして今回の旅の総括を記述する。アートの町なので写真多めになっている。最後まで読んでいただけると幸いである。

5日目 静寂の寺院と喧騒のリバーサイドホテル

10時ごろに起床して、ショッピングモールで両替と紛失した代わりのスニーカー購入を済ませる。デカめのショッピングモールに行けば大抵の用事を済ませることができることに加えて、周辺は治安もいいので、知らない都市ではショッピングモールの位置を把握するのが大切だと感じた。スニーカーはセンチメートル表記ではないため、自分の足のサイズは様々な単位で知っておいたほうが良い。ショッピングモールに海南鶏飯ショップが入っていたので、チキン&ローストポークのセットを食べた。このころになると散策中も気づいたら海南鶏飯の4文字を探していた。中国系の人が作るものはたいていうまくて安くて、何より量が適切。

時間があるので適当にスーパーを覗きながら散策していると、雨が降り始めた。雰囲気がいい寺院があったので見学していると、いよいよ猛烈なスコールになった。中庭に落ちる驟雨と軒先から滴る水滴、そして寺院の静寂のコントラストは今回の旅程で一番好きな瞬間だった。しばらく雨宿りをさせてもらい、教会博物館へ。誰もいない中で賛美歌のような音楽が響く空間はそこそこに不気味。案内人の方は中国系のおばさんだった。大抵宗教施設の見学をしていると宗教を聞かれるが、特に何も信じていないといっても別に疑念を持たれることはなかった。

お香の香りがする境内で雨宿り。今回の旅で一番好きな時間だった。

フェリーターミナルへ向かうと、下校の時間と重なったのか学生が多い。本土からGeorge Townの学校に通っている生徒も多いようだった。14:40発。George Townはコンパクトで、一日あれば十分に散策できた。

Butterworth→Ipoh

15:00にButterworth到着。売店で軽食を購入して列車に乗る。次の目的地のIpohはKLとButterworthの中間位の地点にあり、およそ2時間で到着する。17:40、Ipoh着。Ipohは1880年頃からイギリスに統治されて形成された、マレーシアでも歴史ある街である。あまり観光という街ではないものの、後述するようにアートに力を入れていたりする。コロニアル建築の白い駅舎が非常に美しい。

Ipoh駅舎

この町には到着が遅かったので2連泊する。しかしホテルは全然プライバシーのない部屋で、外観もトリックアートみたいだが一泊600円なのでやむを得ない。同室の人も何をしているのかよくわからない風体の人たちだが自分の髪型もそこそこなので何も言えない。Ipohは石灰岩に囲まれた地質からの伏流水が豊富で、モヤシが名物らしい。それと鶏肉も美味しいらしい(これはどこでも美味しい)ので、両方が食べられる店に向かう。段々と街が暗くなってきて、未体験の街を夜に歩くのはあまりに危ないので足早に向かう。

目当ての店は行列ができていた。15人くらい並んでいる。店の入り口のところがキッチンになっていて調理している様子が見れるのだが、恐ろしく早い。1人前の鶏肉を切るのに5秒、鳥一羽分が2分で処理されている。同じく鶏肉を扱う飲食店パートタイム従事者として見習っていきたい。回転がいいので10分ほどで入店。店員が少ないため、空席はあるものの案内が追いついていないので勝手に座る。注文しようにも英語が通じなかったので、グーグル翻訳を使ってみんなが食べているものと同じものを注文。もやしは日本のものより太めで歯ごたえがあり、醤油ベースのソースと相まっておいしい。フォーファン(米粉のきしめん状のもの)は鶏ガラのスープが臭すぎて食べられなかったが、鶏肉そのものはあっさりしていておいしかった。暗くなってしまったので足早に帰宅。途中、閉まっている市場の脇を通ったら強烈な香りと沢山の野良猫がしたので明日行くことを決定。

ドミトリー外観。最初素通りした。
音速で解体していく。
メニューはこれ一択。

街を散策して、朝から人気が多かった中華麺の店に入店。中華料理店ではデフォルトでスタバのグランデ位でっかくてめちゃくちゃ甘いミルクティーが出されるものの、食事の組み合わせには慣れなかった。名物だというカレーヌードルは非常に美味しい。まさにインドと中国食文化の交錯が生み出した傑作。マレーシアは麺の種類が豊富で、米粉と小麦麺それぞれに数種類あって大抵選択できる。麺の名称表記は英語になっていても借用語でわからないので、それぞれの特徴を覚えていたほうが好みに合わせて頼むことができそうだと感じた。

その後、昨日から目をつけていた市場へ向かう。観光客は誰も来ていない。青果コーナーはでっかい根菜から生花まで幅広く揃えている。ドリアンとパクチーが臭い。名産のもやしは直径1メートル、深さ1メートルくらいの樽に水と一緒に入っていて、ワシワシ量り売りしている。売る度にまあまあ床に落ちている。2階には梱包品やお菓子など、日本の業務スーパーのように一般の人と業者が使える市場になっている。一階の一部が精肉エリアで、豚肉エリアのみきっちり分けられているのはイスラム教を感じた。

隣の鮮魚エリアは、精肉エリアの五倍位の広さがある。いけすのようなところにはナマズや目が退化した白い淡水魚が並べられている。近くに川があるためか日本に比べて川魚の種類が多く、コイやウグイやフナが、一部は一夜干しであったり頭が落とされたりと加工されながらもキログラム単位で売られている。海水魚の店には、サワラやバラクーダのような細い魚から、ハタやサバ、コノシロ、エビといった魚まで。海か川かはわからないが、二枚貝も大量に売られていておじさんが爆速でむき身にしていた。ギャルがでかい魚の頭をけだるそうにぶった切っていてよかった。市場が一番東南アジアのエネルギーを感じることができた。

大量のモヤシ。床にもモヤシ。
貝や魚。キログラム単位での販売。
精肉店。中華系なので豚肉も売っている。

アートの街とのことなので、ドミトリーでもらったマップを見ながら散策。想像以上の規模とクオリティである。共通テーマは平和な日常と多様な文化の尊重で、様々な種族の子供が一緒に遊ぶ絵や、各民族の衣装、行事が描かれていた。風刺色が強くないことがかえってメッセージ性をもたせている。ホテルで入手していた路上アートのマップを見ながら散策した。街をあげてアピールしているだけあって、フォトジェニックだった。以下で一部を紹介する。

散策をしていると近くにきれいなモスクが見えたので敷地に入ってみると、隣の詰所からおじさんが出てきた。どうやら入館のために名前を書いて欲しいとのこと。非ムスリムで、初めて来たことを告げるとよくわからないが案内してくれるとのことだった。はじめは高額のガイド料を取られないかやや警戒したが、めちゃくちゃ親切に案内してくれる。英語で話してくれたので、7割方は理解できた。質問にも的確に答えてくれた。そこは州で一番古いモスクで、一人の現地のお金持ちがイギリス統治時代に隠れて川から材木を運んでタージ・マハルをモチーフに作ったこと、今も金曜日には1000人ほど収容して礼拝をすること、中国系が多いエリアに面した柱には中国系建築が取り入れられていることなどを30分くらい敷地内を歩きながら説明してくれた。そして一番に驚いたのは、このおじさん自身はヒンドゥー教だった。それ故におじさんの説明は深い理解を持ちながらも一定の客観性があって、とても有意義な時間になった。

モスクの解説をしてくれたヒンドゥー教徒のおじさん

7日目 2つの自由

Ipoh→KL

ホテルをチェックアウトして、名物のホワイトコーヒーの店でモーニングを済ませた。ホワイトコーヒーとはマーガリンで焙煎したコクのあるコーヒーで、Ipoh発祥だが今ではマレーシア全土に沢山店舗がある。Ipohで一番有名な店でパンとコーヒーのセットをオーダーした。結構甘味が強いがおいしい。日本のコーヒー牛乳をもっと重めにしたテイスト。KLセントラル行きの列車に10:30に乗車。日曜ということも相まってほぼ満席である。

13:00KL central着。まだホテルのチェックインまで時間があったので、モノレールに乗ってImbiという町にある人気の海南鶏飯の店へ。肉の部位が選べるタイプの店で、この旅で食べた海南鶏飯で一番絶品だった。

一番おいしかった海南鶏飯

再び列車に乗って、KLで降りる。現在はKL centralが主要な駅だが、以前まではKL駅がターミナル駅だった。現在はそこまで利用客が多くないためか静かである。旧駅舎がそのまま使われており、Ipohの駅舎より古めかしい。周辺には博物館や、世界最大のバードパークがあって日本の上野のような雰囲気である。周回バスに乗れるパスがあったらしいが知らなかったので、めちゃくちゃ歩いた。前述したKLバードパークの入園料は2200円で、圧倒的に観光客価格である。展示は説明こそ少なめであったが、規模が巨大で世界一の所以を感じさせる。最大の特徴はその至近さで、バッティングセンターのようにネットがかかっているものの、その中に人間も入るため巨大な孔雀やペリカンとの間に隔てるものは何もない。植物も熱帯そのもので、さながらジャングルでバードウォッチングしている気分を味わえた。

ムルデカスクエア、総括

どうしても最終日に行きたかったムルデカスクエアへ向かった。ムルデカとはマレー語で「独立」の意味を持ち、1957年にイギリスの統治から独立した際に初めてマレーシア国旗が掲げられ、「勝ち取った自由」を象徴する歴史的に重要な意味を持つ広場である。しかし、芝生の広場でそういった血気盛んさとは無縁に人々が思い思いに休日を過ごしている様子は考えさせられるものがあった。マレーシアは国教こそイスラム教だが、ハーモニカストリートが象徴しているように仏教とヒンドゥー教、それにキリスト教が混在している。国教のイスラム教以外を信仰している人々が4割で、マレー人以外の人種も3割以上いる。広場に面して建てられているスルタン・アブドゥル・サマド・ビルも、イスラム建築をベースとしながら西洋建築も取り入れられている。政治、歴史的にはマレー人を優遇する政策が取られたりした過去があるものの、私が滞在した一週間の間で対立構造や差別、どちらか一方が虐げられている様子は一度もなかった。無論、たった一週間の滞在で一国の事情を知ることは到底できない。しかしながら、メトロで日本人が一人だったのに誰も気に留めなかったり、宗教施設の見学をした際に親切に案内してくれても決して布教はしなかったりと、この国には「程よい他者への無関心」があるように感じた。これは一見すると冷淡に聞こえるが、根本の思想・人種が異なる者たちが一つの都市で生活をする半世紀余りの中で醸成されてきた「共創した自由」だと思う。

日本は単一民族国家だからこのような問題に直面することはなかったし、独特の同調圧力が働くことで全体の意思を尊重する風潮があった。だが昨今、自身の生まれやコンテクストの違い、SNSを通して他者とは異なる意見や自覚を持ったり、様々なマイノリティーに対して注目する動きが広がっている。これに際し、自分の立場を獲得できる人もいれば、身の振り方に戸惑ったり自分のポジショニングに迷ってしまい、ひどいと精神的に病んでしまう人が多いことも事実である。そういった他者と自分の差異を感じ、ポジショニングに困ることは多々ある。俗にいう「大学デビュー失敗」などもその一種で、社会の中で生きていく以上避けては通れないできごとだ。これは決して弱い人間だからということではなく、同調圧力や既成集団の軛から解放されたことの反動である。私は経済学部なので、医学・心理学的な知識があるわけではない。しかしながらこのような昨今の状況において、各々が信じたいものを信じ、他者の意思に干渉しないし、自らも迎合しすぎず意固地にもならず融和を図っているマレーシアから学べることがあるのではないだろうか。お前がいいならそれでいいじゃんマインドを獲得した人は強い、ということである。

どんな街も夕日に照らされた瞬間は美しい。最終日にこの国が創り上げた特異な平和の形を、その始まりの地で見ることができて本当に良かった。

人々が週末を思い思いに過ごすムルデカスクエア

編集後記

まずは拙い文を三回分も根気強く読み続けていただいた事に最大限の謝辞を申し上げます。

マレーシアは僕が「海外」に抱いていた漠然とした憧れと期待を軽々と超越してくる最高の国でした。異界でした。

旅の途中の移動時間やドミトリーのベッドで記事の草稿メモを残しておいたことで、帰国してそれらを編集をしている今も旅が続いているような感覚です。

現在、僕は次の旅と来年度に行く留学の準備をしています。旅は行く前からも始まっています。今回の旅で得た教訓や心境の変化を反映させていけたらと思っています。

最後になりますが、今回の旅をするにあたりMedi magazineへの記事にすることを持ち掛けて下さった大木編集長へのスペシャルサンクスを表明して編集後記に代えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。


Medi Magazine編集部 佐藤

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